Contents
治療院の扉を開けた期待と違和感
ある日、腰の痛みをなんとかしたくて、少し評判の良いという治療院に足を運びました。デスクワークでの負担が腰にきているのは明らかで、痛みを和らげるだけでも…と淡い期待を抱いていました。
しかし、扉を開けた瞬間から、ほんの少し漂う違和感。受付での対応もどこかズレていて、「まあ、治療技術さえ良ければ」と自分に言い聞かせたものの、この日を境に始まる壮絶な冒険の始まりだとは夢にも思いませんでした。
治療院に通う目的はもちろん「治療を受けること」でした。しかし、私が通った治療院では、なぜか受付スタッフが「霊視」や「ネイル」を持ち出して、なぜか張り合ってくるという不思議な現象が…。
読者の皆さん、想像できますか?治療院の受付で繰り広げられる「張り合い合戦」。これが一体何を目指しているのかは最後までわかりませんでしたが、施術よりもそのやり取りのほうが記憶に残る場所だったことは確かです。
治療院といえば、普通は施術を受けるための場所。なのに、なぜかここでは受付スタッフから「霊視、できます?」と質問される羽目になりました。
その瞬間、私の頭の中には疑問符がいっぱい。霊視をテーマに会話するのはヒーリングの場では珍しいことではないかもしれませんが、それを受付スタッフに尋ねられるとは…。いやいや、これ治療院ですよね?
痛みを伝えたら知識自慢認定!?
最初の施術で、私は何気なく腰の痛みについて伝えました。普通の治療院なら、「そうですか、それではそこを重点的に見ていきましょう」といった反応が返ってくるはず。しかし、この治療院では違いました。
先生は私の話を最後まで聞く前に、一言。
「知識自慢は要りません。」
え? 知識自慢? ただの患者として、自分の症状を説明しているだけなのに、それが知識自慢に変換されるのは一体どんな心理回路なのか…。しかも、彼はそれを叱るようなトーンで言うのです。
「いやいや、知識どころか、痛みをどう伝えればいいのかすら迷ってる普通の患者なんですけど?」と心の中でツッコむ私。
その後も、「患者としての言葉」を「知識自慢」と勝手に解釈され、施術中は終始こちらの説明を遮られる始末。痛みを伝えるどころか、心まで痛くなりそうな予感がしました。
行動は意味がない? 接骨院の先生の新理論
HPの編集作業が続き、腰が悲鳴を上げていたため、「少しでも痛みが和らげば…」と期待して接骨院を訪れた私。ですが、返ってきたのは思わぬ一言。
「行動しても意味はない。」
え? 行動しても意味がない? 普通の治療院なら、「姿勢を直しましょう」とか「運動を取り入れましょう」といったアドバイスが来るはずですが、この先生の話はどうも違いました。
「うちは集客も周波数を合わせてやってるんです」と先生が自慢げに語り始めるのですが、それが腰痛治療とどう関係するのかは一切触れられず。さらに驚くのは、こちらが何を話しても「それは違います」「そんな考えは要りません」と否定されること。
話せば話すほど、返ってくるのは先生の自慢話。でも、その自慢が…なんというか…驚くほどレベルが低い。周波数の話もそうですが、「それで自慢になるんですか?」と聞きたくなるような内容ばかり。
最終的には、「患者が何かをしようとする必要はない」「私のレベルに追いつけないと思うかもしれませんけど」と言い放つ先生。いやいや、問題なのはレベルではなく、治療の話をしたいだけなんですが…。
「話を聞く→否定される→自慢を聞かされる」というループを繰り返し、私は心の中でこうつぶやきました。
「これ、腰が痛いどころか、心まで痛くなりそうなんですが。」
こっちに任せてください――説明の放棄か、無敵の自信か?
施術中に先生に「腰の骨が曲がっているので直したい」と相談すると、返ってきたのは一言。
「こっちに任せてください。」
え、任せるのは当然なんですが…。具体的にどう治療するのかを説明してほしいのに、それについては一切触れず。ただただ「任せてください」と繰り返されるばかり。
この瞬間、私はふと考えました。この「こっちに任せてください」という常套句、実は説明できない人の“逃げ道”なんじゃないのか?
説明できない人あるある?この一言に隠された心理
- 説明力の欠如
具体的にどう治療するのかを説明できないから、「任せてください」という曖昧なフレーズで濁しているように感じました。もしかすると、先生自身も治療の方法を完全には理解していないのかもしれません。 - 権威付けの演出
「プロに任せておけば安心」という空気を作り出そうとしているのかもしれません。説明する手間を省きつつ、あたかも自分が信頼できる専門家であるかのように見せるこの言葉。むしろ信頼を強制されている気さえしてきます。 - 責任回避のための曖昧さ
具体的な説明を避けることで、結果が思わしくなかった場合に責任を追及されないようにしている可能性も。この一言には、「何かあっても、説明不足とは言われたくない」という心理が透けて見えます。
治療院で感じた違和感の正体
「こっちに任せてください」という言葉を繰り返されるたびに、私の中でモヤモヤが募りました。この言葉が持つ“逃げ道”のような響きに、だんだん不安を感じ始めたのです。
普通なら、患者が自分の症状をどう感じているのかを聞き取り、それに対して具体的な治療方針を説明するのがプロの仕事ですよね。それが、この先生の口からは「任せてください」以上の言葉が出てこない。
結局、この一言に全てが集約されている気がします。
「説明する気がない、もしくは説明できない。」
それを隠すための魔法の言葉――「こっちに任せてください。」
そして極めつけの一言がこちら。
「行動なんて微々たる変化しかない。」
ここで私は思わず心の中でツッコミました。
「行動=人生を変える最大の力じゃないの?」
だって、私自身、毎日1時間睡眠で行動と勉強を続け、人生を劇的に変えてきた経験があります。行動が微量しか変化を生まないなんて、本当にそうでしょうか?
接骨院の先生の発言を掘り下げる
その背景を考えてみると、どうも次のような心理が隠れています。
1. その視点の狭さがヤバい
行動が人生を変える最大の力であるのは、多くの人が共通して持つ常識ですよね。たとえばリハビリやストレッチの積み重ねが重要なのは、接骨院なら当然理解していなければならないはず。でも、この先生の発言は、それを根底から否定しています。
もしかして、この先生は「行動できない人」だった過去があるのかもしれません。自分の行動力に自信がないからこそ、他人の行動を否定することでバランスを取ろうとしているように見えました。
2. 投影の可能性あり!
この発言、実は先生自身の無意識の叫びなのかもしれません。
行動を否定する言葉の裏には、「自分が努力しても結果が出なかった」という過去の経験が潜んでいるのでは?
成功した人を見ると、自分の努力不足を認めたくなくて、あえて否定的な態度を取る。これは、無意識の劣等感が生み出す典型的な投影の行動といえます。
3. 視野の狭さ=プロとして致命的
接骨院の先生であるなら、「行動が変われば結果が変わる」という基本的な事実を理解していなければプロとして失格です。
例えば、リハビリやストレッチも「微量の行動の積み重ね」が鍵になるのに、それを軽視してしまう発言をする時点で、かなりヤバい。
「治療」を掲げているのに行動を否定するとは、どういう矛盾した世界観を持っているのかと思わずにはいられません。
先生の心理の背景
自己肯定感の低さ
この発言には、自己肯定感の低さが透けて見えるようです。努力しても変化を感じられなかった自分を受け入れられない結果、「行動なんて意味がない」と断言することで、自分の価値観を守ろうとしている可能性があります。
他人の成功に対する嫉妬?
天才的な行動力を目の当たりにすると、普通なら感心したり学びを得たりするものです。
しかし、この先生の場合はそうではなく、「認めたくない」「自分には無理だ」と劣等感を感じてしまい、その結果、否定的な発言で自分を守ろうとしたのではないでしょうか?そう考えると、先生の言葉が少し切なく感じられます。
社会性の問題
「行動しても意味がない」という発言は、社会的スキルの欠如を表している可能性もあります。
他者の努力や成果を理解せず、自分の価値観だけを押し付ける態度は、コミュニケーションの問題を浮き彫りにします。こうした行動は、患者との信頼関係を築く上で大きな障害になるのではないでしょうか?
結論:行動は無駄じゃない!でも先生は?
最終的に、「患者が何かをしようとする必要はない」「行動しても意味がない」という先生の発言に、私はこう結論づけました。
「いやいや、行動が変われば結果も変わるんです。それが人生の基本ですから!」
心の中でそう叫びながら、私はこの接骨院を後にしました。そして、行動の力を信じる自分に改めて自信を持った瞬間でした。
スマホを持ち込む受付スタッフ:カオスすぎる現場
施術中、先生との会話に集中していると、突然受付スタッフが診察室に入ってきました。手にはスマホ。どうやら、私と先生の話に少しでも違いがあると、その証拠を提示するためにスマホを見せに来るという役割を担っているようです。
施術が中断され、先生がスマホをじっと見つめる時間。こちらは横たわったまま放置され、心の中で「これが新しい治療の一環なのか?」と考える始末。
さらに驚いたのは、耳が赤くなると、その報告をしにわざわざ診察室に来るスタッフ。いや、耳が赤いことより、治療が進まないことのほうが大問題です!
こんなに頻繁に診察室に来る受付スタッフがいる治療院、他にありますか?50代の境界知能らしきスタッフが、施術の指揮を取っているようにすら見えました。
霊視の本質 vs. 低クオリティ質問

霊視の本質 vs. 張り合い劇場
ある日、施術中に先生が10分ほど席を外すという謎の行動があり、その間、受付スタッフが私に話しかけてきました。
「霊視、できます?」
突然の質問に一瞬戸惑いましたが、私は正直に答えました。「私は見える見えないではなく、体感覚で霊視するタイプなんです。むしろ見えてしまうとエネルギーを感じ取れなくなるんですよ。」
会話がそれで終わるかと思いきや、ここから受付スタッフの張り合い劇場がスタート。
「私は見えないけど!」
威張るような口調で言ったあと、続けて「霊的エネルギーは感じるけど、それを表現するのは難しいのよね」と自分語りが始まります。
いやいや、それはわかりましたけど、なぜ患者である私に張り合う必要があるのでしょう?ここで試しにこう聞いてみました。
「じゃあ、私が連れてきた龍は見えますか?」
すると返ってきた答えは、まさかの…
「見えない!」
…いや、むしろその見えなさを誇られても困るんですけど?受付スタッフは一体、どんな患者対応マニュアルで行動しているんでしょうね?
張り合いが空回りしてるのに、本人は本気で自信満々。この突き抜けたカオスさに、治療院の本質が張り合いなのかと疑ってしまいました。
本来、霊視とはエネルギーを読み解き、体感覚で直感を掴む能力。それを「見えるかどうか」という表面的な次元で話すこと自体、霊視の本質を理解していない証拠です。
ここまで来ると、「常識って何?」と問い直したくなります。治療院なのに、受付で精神的耐久試験を受けさせられる新感覚エンタメ体験。皆さんなら、この場面でどう切り抜けますか?
霊障吸引ショー:繊細な先生の実力は?
さらに驚いたのは、その後の話題。「霊障」についての話です。受付スタッフによれば、先生は霊障が強い患者さんから「吸い込む」ことで症状を軽減するらしく、それを得意げに説明してくれました。
「先生って霊障が強い人からよく吸い込んじゃうんですよね。だから繊細なんです。」
いやいや、私はシャーマンなので自分で霊障はとっくに解除していますけど?それに、霊障解除の知識も技術もないのに、吸い込むだけで問題が解決するという施術法がどれほど怪しいか…。
さらに、受付スタッフの霊障トークは止まりません。「先生は繊細だから、患者さんのネガティブエネルギーを全て受け入れるんですよね。」と自慢げに話し続ける姿を見て、私は思わず心の中でこうつぶやきました。
「吸い込むだけで何も解決しない施術って、治療というより自己犠牲ショーじゃない?」
本当にそれで患者が癒されるなら、私は先生を霊障吸引機と呼ぶべきかもしれません。
ここまで来ると、この治療院が何を目的としているのか完全にわからなくなります。患者の体を癒すどころか、霊障の話で不安を煽られる始末。いや、それ本当に大丈夫ですか?
でも、これが本気で「良かれ」と思ってやってるのが、この治療院のすごいところ。自信満々で繰り出される「霊障吸引」と「繊細な先生」理論…。ここに境界知能の真骨頂を見た気がします。
張り合うけど空回り、その上で「役に立っている」と信じきっている無敵感。治療院のはずが、笑うしかないエンタメ施設に変わっているこの状況、皆さんならどう受け止めますか?
「患者を治す」よりも「自分たちのスピリチュアル理論を語る」ことが優先されるこの治療院。
患者の症状を改善するどころか、精神的な耐久試験を課してくるこの場は、もはや治療院ではなく“自己満足ショー”と言っても過言ではありません。
皆さんなら、この状況をどう乗り切りますか?
穏やかさの定義が迷子に
この治療院では、お香がたかれ、クリスタルボウルの音色が優しく響いています。目を閉じて深呼吸すれば、なんともヒーリング効果がありそうな空間…のはずなのですが。
ただひとつ、気になることがあります。
先生がタバコ臭い。
いやいや、お香や音楽の癒し効果を一瞬でかき消すレベルのタバコ臭。しかも、その先生の口癖はなんと…
「穏やかに。」
タバコの匂いを漂わせながら“穏やかにね”と言う先生…この場面こそ究極のカオス。
いや、先生、それ自分に向けた言葉ですか?患者に対して言う前に、まずご自身が穏やかになる必要があるのでは?と思わずにはいられません。
スピリチュアル空間で放たれるタバコ臭と「穏やかに。」の矛盾っぷりに、こちらの心の安定が試されている気がしてなりませんでした。
チケットが減ると先生が豹変!?
治療院に通い続ける中で、私はあることに気づきました。それは…
チケットの残り枚数と先生の態度が正比例しているという事実。
普段は自慢話やスピリチュアルなトークに夢中で、患者の話なんて聞いちゃいない先生が、チケットが残りわずかになると急に優しくなるんです。
「最近どうですか?辛いところ、教えてくださいね。」
えっ!?いきなりどうした!?と驚くくらいの態度の変わりよう。もはや「治療」ではなく「残り枚数の確認作業」なのでは…と疑いたくなるほど。
それまで延々と自分語りをしていた先生が、急にこちらの話を親身に聞いてくれる姿に、思わず笑いをこらえるのが大変でした。いやいや、そんなに露骨に態度を変えられると逆に気を使うんですが!
治す気ゼロ!? 漫談ショー化した治療院
「先生、この痛みってどのくらいで良くなりますか?」
真剣に見立てを聞いてみたところ、返ってきたのはまさかの…
「それ、いつ20歳になりますか?って聞いてるのと同じですよ。」
いやいや、それを例えに出されても困りますよね!この瞬間、私は完全に悟りました。この治療院、本当に治す気があるのでしょうか?
患者が真剣に痛みや不調を相談しているのに、返ってくるのは“漫談ショー”のような対応。いやいや、困惑しかないですよね(笑)。
普通の治療院なら、「痛みの原因を解消しましょう」とか「こう改善できますよ」と提案されるものですが、この接骨院では「霊視できます?」や「霊障を吸い込む」といったスピリチュアルな話題が優先。
もう「ここ、治療院だったよね?」と疑わざるを得ません。
皆さん、こんな治療院に遭遇したらどう思いますか?「治す気ゼロ」どころか、「治療院とは何か?」という問いを読者に投げかける、こんな場所でのスリリングな体験。
いや、むしろ耐える必要すら感じないかもしれませんね。この治療院の次元を超えたエンタメ性を思う存分楽しむ以外に…。
膝痛のアドバイス、説得力ゼロ!?
「膝が痛いのは、体重を減らさないとダメですよ。」
そう先生が言うたびに、私は頭の中で思わずこうツッコミたくなりました。
「いやいや、その体型でそれを言うの!?説得力ゼロですけど!?」
身体が私の3倍くらいある先生が、このセリフを口にするたび、治療院に漂うタバコの匂いとサイゼリアの香りが頭をよぎります。健康を語るなら、まずその生活習慣を見直してほしいと思うのは私だけでしょうか?
結局、技術がないなら…さようなら!
通っている間、こちらが精神的に整い始めると、先生の自慢話も徐々にトーンダウン。受付スタッフの突拍子もない発言に対しても、先生が「穏やかにね」とかばう場面も見られるようになりました。
それなら、と何とかチケット消費のために治療を続けたものの、最後に気づいたのは…
結局、技術がないと治らないという当たり前の事実。
いくら精神論やスピリチュアルな話で場を繋いでも、実際の技術が伴わなければ痛みは治らない。私はそこでようやく悟りました。この治療院を去るべきタイミングが来たのだと。
考察:治療院ではなくエンタメ施設?
この治療院の一連の流れを振り返ると、「ここは本当に治療院なのか?」という疑問が湧いてきます。周波数の謎理論、知識自慢認定、受付スタッフの奇行。どれを取っても治療院らしさはゼロ。
「行動しても意味がない」という先生の発言と、受付スタッフが施術を中断させる行動。これを合わせると、矛盾というより、もはやコントの領域です。
矮小化とマウンティングのコンボ
この受付スタッフの言動は、「矮小化」と「マウンティング」が絶妙に混じり合ったもの。
矮小化の例としては、「霊視なんて必要なの?」と霊視そのものの価値を軽んじる発言。これにより、私の能力を軽視し、自分を正当化しているのでしょう。
さらに、「見えないほうが特別」と自己正当化するマウンティングも展開。「私は見えないけど、霊的エネルギーは感じる」という発言には、自分のほうが何かしら上だと言いたい心理が隠れています。
完全に残念な人エピソードのまとめ
この受付スタッフとのやり取りを振り返ると、ただ一つ感じるのは「残念」という言葉に尽きます。霊視を話題に張り合いを挑んできたものの、結果的には完全な空回り。劣等感や自己防衛がミックスされた行動に、私も終始呆れるしかありませんでした。
患者として通う治療院で、なぜこんなやり取りが必要なのか…。次回治療院を探す際には、「施術に集中できる」普通の場所を選びたいものです。
考察: なぜ受付は張り合ってくるのか?
ここで一つ、冷静に考えてみました。なぜ受付スタッフが、霊視やネイルといったテーマで患者と張り合う必要があるのか?
その理由として考えられるのは、「劣等感」と「自己防衛」の二つ。私のような患者が持つ特別さに圧倒され、何とか自分を認めてもらおうと必死になっているのでしょう。その結果、自分が劣っているという不安を隠すために、張り合うという行動に出てしまうのです。
しかし、張り合おうとすればするほど空回りし、矮小化が目立つばかり。この矛盾した行動が、受付スタッフの行動をより際立たせていました。
別の日、今度は受付スタッフがネイルについて語り始めました。
「ネイルはやらないほうがいいと思うんですよね。手からいろいろもらうから。」と言われたので、「もうネイルしていないですよ」と答えると、受付スタッフはさらにこう続けました。
「違う違う、ネイルを受ける側の話よ!」
いや、私ネイリストなので、そもそもネイルを「受ける側」になる機会なんてほとんどないんですけど…。そもそもこの会話が治療に何か関係があるのでしょうか?
「張り合いでエネルギーを吸い取られるこの治療院。前日でも簡単に予約が取れるのは、2回目以降通う人がいないからかも。」
歯を食いしばって通い続けた日々
それでも、私は事前に購入してしまった回数券のために、なんとか歯を食いしばりながら通い続けました。いや、文字通り「歯を食いしばる治療」を受けてたんですけどね。
先生曰く、「食いしばりを治すには、まず精神的な負担を減らすべき」らしいのですが、こちらとしてはむしろ毎回の施術が精神的な負担でしかなく…。通うたびに、食いしばりも嚙み締めも悪化していくという謎のスパイラルに。
そして通っている間中、私はひたすら「早く回数券が終わりますように」と祈るばかりでした。感謝? そんなものは1ミリも生まれませんでした。
次に治療院を探すときは、普通の治療院で、普通に治療してもらえる場所を選びたい――この経験を通して心からそう誓いました。
振り返ってみれば、この治療院で最も印象に残ったのは、施術内容ではなく受付スタッフの「張り合い劇場」でした。霊視の話からネイルの話まで、エネルギーを吸い取られるような会話の応酬。患者として体験するのは、施術ではなく耐久試験のようなものでした。
次に治療院を探す際には、施術が主役で、張り合い劇場のない普通の治療院を選びたいと心から思いました。
「怖くないですか?」
霊視で張り合い、霊障で語る受付スタッフ。ここまで来ると、この治療院はもはや治療を目的とした場所ではなく、「癒されるどころか、心身ともに疲弊した人々がさまよい集まるカオスの場」のようです。
「体の治療に来たのに、なぜ心まで掻き乱されるのか。」そんな疑問を抱えながらも、私はこの治療院を後にしましたが、もしあなたがこんな治療院に遭遇したら、どう対応しますか?
まとめ
この治療院、皆さんならどう感じますか?霊視に張り合われ、ネイルで追い打ちをかけられる体験…。次にどんなテーマで張り合ってくるのか、もはや期待を超えた恐怖です。
もしあなたがこのような受付スタッフに出会ったら、どう感じますか?霊視について質問され、さらには張り合われる治療院…。もはや治療よりもエンタメ性が高い場所であることは間違いありません。
こんな体験、あなたならどう対応しますか?




